胸打つ遺言
あるご婦人が、亡きご主人の遺言書を携えて来所されました。
ご病気で亡くなられる少し前に作成されたものです。何が財産としてあり、どのように分配するのかが実に克明に記されており、関係者相互の兼ね合いをよく考えておられた様が見て取れます。
読み進めるにつれ、ページ数が普通より若干多めであることに気付きました。遺言に遺すことで法的効果が得られる事項は限られている中、稀に、残された方にとって好ましくないことが書かれているケースもあるため、何となく居たたまれない思いが頭を掠めたのですが、ご婦人はその間じっと黙って、私が読み終わるのを待っておられるご様子。
私の仕事に関係するくだりが全て終わり、次のページに目をやって理由が判りました。
「付言事項」。これは通常、法的効果は無いながらも「最後に遺したい言葉」を自由に書いた部分を指します。この方の遺言には、この部分に殆どのページが割かれていたのです。
新婚間もなく出征したときの恐怖、死ぬほどの思いで復員して新妻と再会したときの喜び、長女が生まれた時の感動、家族のため仕事に打ち込んだこと、過程で挫折を味わったこと、それでも一軒家を建てたときの充足感、支えてくれた家族への感謝の気持ち、残る方々に望むこと、等々…。ご主人の足跡が数ページに凝縮されたものでした。
聞けば、生前は非常に無口だったというご主人。ご自身の死期を知ってか知らずか今はもう知る術はありませんが、こうも万感の想いの籠った遺言は滅多に見られないでしょう。
ご婦人が帰られた後、お預かりした遺言書をもう一度読み返しつつ、
「自分も将来、こうした言葉を遺せるような人生を送りたいものだ」と考えていました。
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コメント
関さん、コメントありがとうございます。
遠方の、しかも同業の方にそうして共感して頂けると、書いて良かったと思えます。
投稿: 井上和樹 | 2006年2月23日 (木) 01:27
こんにちは。
初めてコメントいたします。
仕事で遺言を見るときは、どうしても法律的な観点から内容を判断してしまいます。
でも、遺族にとって本当にありがたいのは、井上さんがご覧になった遺言のように、遺言者の遺族を思う気持ちを綴ったものなのかもしれませんね。
考えさせられました。
投稿: 関和也 | 2006年2月21日 (火) 17:53